1995年の地下鉄サリン事件後、オウム真理教の広報担当を務めた上祐史浩(じょうゆう ふみひろ)氏の受け答えの特徴を表現した言葉が「ああ言えば上祐」です。この言葉は、事件のメディア報道を通じて広まり、「言い逃れ」や「論点ずらし」の代名詞として流行語になりました。
本記事では、「ああ言えば上祐」の意味・由来・流行語としての背景・社会への影響・上祐氏の現在について解説します。
「ああ言えば上祐」の意味と由来を徹底解説

諺「ああ言えばこう言う」との関係とは?
「ああ言えば上祐」という表現は、日本のことわざ「ああ言えばこう言う」をもじったものです。
まず、このもともとの表現がどのような意味を持っているのかを詳しく見ていきましょう。
「ああ言えばこう言う」の意味
「ああ言えばこう言う」とは、ある発言や指摘に対して、すぐに理屈をつけて言い返し、素直に認めない態度を指します。
この表現は、日本語に古くからある慣用句であり、日常会話やビジネスシーンでもしばしば使われます。
例えば、次のような会話の場面を想像してください。
👤 A:「この資料、ちょっと修正したほうがいいと思うよ。」
👤 B:「でも、前回はこのままでいいって言いましたよね?」
👤 A:「もっと早めに相談してほしかったな。」
👤 B:「でも、忙しくてなかなか時間が取れなかったんです。」
このように、「ああ言えばこう言う」は、
✅ 反論を繰り返し、相手の意見を素直に受け入れない
✅ 屁理屈をこねるような態度をとる
✅ 正論を言われても、それを認めようとしない
といった場合に使われます。
特に、子どもが親に叱られた際や、職場での会話などで耳にすることが多い言葉です。
「ああ言えば上祐」の由来と意味
では、この「ああ言えばこう言う」が、なぜ「ああ言えば上祐」に変化したのでしょうか?
この表現が生まれたのは、1995年の地下鉄サリン事件の報道をきっかけとしています。
事件後、オウム真理教の広報担当としてメディア対応をしていたのが上祐史浩氏でした。
彼の記者会見での受け答えが、まさに**「ああ言えばこう言う」のような話し方だったため、ジャーナリストの二木啓孝(ふたつぎ ひろたか)**氏が「ああ言えば上祐」と名付けたと言われています。
上祐史浩の話し方の特徴
上祐氏の話術には、以下のような特徴がありました。
✅ 質問の本質をかわす:「その質問自体が間違っています」
✅ 相手の発言の矛盾を指摘する:「あなたの言い方が偏っています」
✅ 論理的に見せつつも、議論を拡散する:「しかし、そもそも問題の背景を考えると…」
✅ 結論を曖昧にする:「一概には言えませんが…」
これらの話法により、記者たちは明確な回答を引き出せず、視聴者も「結局、何が言いたいのかわからない」と感じました。
例えば、当時の記者会見では、次のようなやり取りがありました。
👤 記者:「オウム真理教は地下鉄サリン事件に関与しているのでは?」
👤 上祐氏:「まず最初に確認したいのは、あなたが”関与”とおっしゃっている意味です。法律的な意味でしょうか?道義的な意味でしょうか?」
👤 記者:「では、オウム真理教として事件に関与したということは?」
👤 上祐氏:「そもそも、その前提が間違っているのではありませんか?事件そのものの背景をもう少し検証する必要があります。」
このように、質問の本質をかわし、相手の論点をずらすことで、はっきりとした答えを避ける姿勢が特徴的でした。

「ああ言えば上祐」が広まった経緯
上祐氏の話術は、メディアの報道を通じて日本中に広まりました。
特に、ワイドショーやニュース番組では、彼の受け答えが何度も取り上げられ、多くの視聴者が彼の発言に困惑しました。
その結果、「ああ言えば上祐」という言葉が流行し、
・詭弁を弄する人物の代名詞
・論点をずらして責任を回避する態度の象徴
として使われるようになりました。
この言葉は、単なるオウム真理教の話題を超え、
- 政治家の国会答弁(明確に回答しない)
- 企業の不祥事会見(責任をあいまいにする)
- 日常会話(屁理屈をこねる人を指す皮肉)
といった様々なシーンで使用されるようになりました。
「ああ言えば上祐」の社会的影響
「ああ言えば上祐」という表現は、日本社会において
✅ 言葉の責任を回避する態度への警鐘
✅ 論理的に見せかけて核心を避ける話し方の象徴
として根付いていきました。
また、この言葉が示すような「論点をずらす話し方」は、今日においても政治・ビジネス・メディアの様々な場面で見られます。
そのため、「ああ言えば上祐」という言葉は、現在でも「責任逃れの言い方」として使われることがあります。
「ああ言えば上祐」が流行語になった背景
「ああ言えば上祐」という言葉は、単なる揶揄や皮肉ではなく、当時の日本社会の状況やメディアの影響を反映した言葉でもあります。

オウム真理教事件による衝撃
1990年代、日本ではオウム真理教による一連の事件が世間を騒がせていました。地下鉄サリン事件だけでなく、坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件など、多くの重大事件に関与していたことが明らかになりました。
しかし、オウム側はこれらの事件への関与を否定し続けました。その最前線に立っていたのが、広報担当の上祐史浩氏だったのです。
現在の上祐史浩:変化とその後

上祐史浩(じょうゆう ふみひろ)のプロフィール
- 生年月日:1962年12月17日
- 出身地:福岡県北九州市
- 学歴:東京大学工学部卒業(航空宇宙工学専攻)
- 主な肩書:
- 元オウム真理教広報部長
- 元オウム真理教幹部
- 現「ひかりの輪」代表
経歴
オウム真理教時代

上祐史浩氏は、東京大学卒業後の1986年頃にオウム真理教(当時のオウム神仙の会)に入信。
オウム真理教内では広報部長を務め、カリスマ的指導者であった麻原彰晃(本名:松本智津夫)の側近として活動。
1995年の地下鉄サリン事件後、オウム真理教の広報としてテレビや記者会見に登場し、巧みな話術でメディア対応を行いました。
しかし、教団の犯罪が次々と明るみに出る中、オウムの幹部として逮捕され、1997年に破壊活動防止法違反(団体規制法)容疑で懲役3年の実刑判決を受けました。
オウム真理教脱退と「ひかりの輪」設立
2000年に出所後、オウム真理教(後のアレフ)に戻るものの、2007年に教団を離脱。
その後、「ひかりの輪」という新団体を設立し、オウム時代の麻原彰晃の影響を完全に排除することを表明しました。
現在は、仏教思想や心理学を取り入れた活動を行いながら、YouTubeなどで情報発信を行っています。
また、かつてのオウム真理教での出来事についても、自身の視点から語るようになっています。

まとめ:「ああ言えば上祐」の意味と現在
- 「ああ言えば上祐」は、言い逃れや論点ずらしをする人の代名詞となった流行語。
- オウム真理教の広報担当だった上祐氏の巧みな話術が由来。
- 政治・企業の対応にも使われる言葉として定着。
- 上祐氏本人はオウムを脱退し、「ひかりの輪」を設立し活動中。
現在も、「ああ言えば上祐」は言葉として残り、社会のさまざまな場面で使われ続けています。

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