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【衝撃の告白】いとうまいこ教授が語った芸能界の“性接待”とは?赤裸々な初講義の内容とは

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将来大学で“あの経験”を話すとは想像すらしていなかった

2025年春、東京都墨田区。新しいキャンパスの一室で、真剣なまなざしを向ける学生たちの前に立っていたのは、かつて80年代に一世を風靡した元アイドル・いとうまいこさんだった。60歳にして大学教授に就任した彼女は、教育の場で芸能界時代の経験を語るという大胆な試みを始めていた。

「初めての講義で話したのは、“やらせ”や“性的な誘導”についてでした。あの頃のことを、まさか大学で話すとは……自分でも驚いています。」

静かに、だが確かな口調で語るいとう教授の言葉には、覚悟と責任感がにじんでいた。


“今晩、よろしくね”──断ったあの日と、翌日に消えた仕事

いとうまいこさんが芸能界に足を踏み入れたのは10代の頃。グラビアのコンテストで“グランプリ”を獲得したのがきっかけだった。だがその舞台裏には、すでに決められた結果、出来レースの現実があった。

「“投票で選ばれた”とされていたけど、実際には、事務所と出版社であらかじめ決まっていた。私は名古屋から撮影に行ったけど、そのとき“もう順位は決まってるから”って帰りの新幹線で言われて……高校生の私には衝撃でしたね。」

その後、ある出演オファーが舞い込んだとき、担当者から「一緒に食事でもどうですか?」と誘われた。芸能界ではよくある“打ち合わせを兼ねた食事”だと思っていた。しかし、その後の言葉に背筋が凍った。

「“今晩、よろしくね”って、さらっと言われたんです。私は“そういうつもりじゃありません”と即座に断りました。そしたら、次の日にはその仕事がなくなっていた。」

それが、いとうまいこさんにとって初めての“性接待の要求”だった。


「自分を守ったことを、誇りに思っています」

「当時は、なぜ自分ばかりこういうことが起きるのか、ずっと悩みました。でも今は、自分を守れたこと、それを“NO”と言えたことを、誇りに思っています。」

芸能界のそうした“理不尽な常識”を拒むには、強い意志が必要だった。そしてそれは、代償を伴う選択でもあった。だが、いとう教授はその後、自分を変える決意をする。

「30歳のとき、自分のスタイルを全部やめたんです。髪型も、メイクも、名前も。“伊藤麻衣子”から“いとうまいこ”に。演じる人生から、本当の自分に戻ったんです。」

彼女の心の変化は、人生の方向も変えた。そして今、彼女はその人生を“教育”という新たな舞台に注いでいる。


「過去を語るのは、自分をさらけ出すこと。でも、それが誰かの支えになるなら」

現在、いとうまいこさんが教授として教えているのは「ヒューニング学」という新たな人間学的分野。人間の心を“調律”する方法を学ぶこの学問では、ネガティブな感情を“再定義=リフレーミング”する技術を重視している。

「過去の経験を話すことは、簡単じゃないです。恥もあるし、恐れもある。でも、それが誰かの救いになるなら、話す意味はあるんです。」

学生たちの反応は、予想以上に真摯だったという。

「“聞いていいのかな”って思いながらも、“すごく胸に刺さった”という声が多かったです。嬉しかったですね。」


「“性接待”を断ったことを後悔していない。むしろ、それが今の原点です」

現代の芸能界でも、形を変えて残る性加害やパワハラの問題。いとうまいこ教授は、その構造を身をもって経験してきた。だからこそ、今、教育者として語る意味がある。

「私は断って、仕事を失った。でも、自分を失わなかった。だから、今、60歳の私が大学の教壇に立てているんです。」

この言葉には、彼女が歩んできた“選択の連続”と“結果としての今”が詰まっている。


「自分らしく生きること、それが一番の“学び”」

最後に、いとう教授に今の若者たちへメッセージをお願いすると、彼女は静かに、でも力強く語ってくれた。

「人にどう見られるかじゃなくて、自分がどう在りたいか。どんな仕事でも、どんな場所でも、“自分で選ぶ”っていう意志を持ってほしいんです。」

「合わせることより、断る勇気を持てること。その勇気が、未来を守ってくれるから。」

「芸能界と教育、実はとても似ているんです」

いとうまいこさんに「芸能界」と「大学」というまったく異なる二つの世界について尋ねると、意外な答えが返ってきた。

「実はね、本質的にはすごく似ているんですよ。どちらも“見られる”仕事ですし、“言葉”が人を動かす。だからこそ、自分の発言や振る舞いに責任が伴う。」

芸能界での発言一つがキャリアを左右したように、教育の現場でも、教員の言葉一つが学生の人生観を左右することがある。そこには“覚悟”が必要だと彼女は言う。

「昔の私は、誰かの期待に応えることばかり考えていました。でも、今は違う。“どうすれば、この子たちが本当に生きやすくなるか?”を考えて話しています。」


あえて語る“性接待”──そのタイミングの裏側

60歳という節目。大学教授という新しい役割。なぜ彼女はこのタイミングで、最も繊細で苦い過去を語る決断をしたのだろうか?

「若い頃に言っていたら“売名”って思われたでしょうね。でも、もう私は何かを手に入れたいわけじゃない。今は、伝えられることがあると思えたから、語ったんです。」

そこには、芸能人としてではなく、一人の“人生経験者”として若者たちに残したい思いがある。


「学生の“まなざし”に、全部報われました」

講義後の教室で、ある男子学生がこう声をかけてきたという。

「先生、あの話……正直、ちょっと泣きそうになりました。僕、妹がいるんで、なんか、他人事じゃなかった。」

そのとき、いとう教授は「話してよかった」と心から思えたという。

「ああ、伝わったんだなって。若い子たちって、大人が思っているよりも、ずっと真面目に、深く受け止めてくれているんですよ。」


現代の若者たちへ──“自分らしさ”を大切に

いとう教授の講義では、“自分をどう守るか”“自分らしさとは何か”という問いが、たびたび登場する。

「私の時代は、従うしかない時代でした。でも今は違う。選べる、拒否できる、SNSで声を上げられる。だからこそ、自分の“軸”を育ててほしい。」

講義では、「リフレーミング」を体験するワークを多く取り入れている。たとえば──

  • 嫌な出来事が起きたら、どんな意味を“与え直す”か?
  • 自分の失敗を“学び”として再定義できるか?

学生は「授業後、頭の整理ができた」「自分の考えにOKを出せた」などとポジティブな感想を口にしているという。


「あのとき断った自分がいたから、今がある」

もう一度、「性接待を断ったあの日」について聞くと、いとう教授は少し間を置いて、こう言った。

「あのとき、断って良かったと思います。怖かったけど、もし受けていたら、きっと自分を嫌いになっていたと思う。自分を嫌いなまま生きるのって、苦しいですから。」

その言葉の奥には、自分に嘘をつかずに歩んできた60年間の重みがあった。


最後に──人生に遅すぎることはない

大学で学び直し、修士号を取得し、教授にまでなったいとうまいこさん。今もチャレンジは続いている。

「45歳で大学に入り直して、60歳で教授になって。人生って、本当に何が起こるかわからないですよね(笑)」

「でも、それがいいんです。“遅すぎることなんてない”って、本気で思っています。」


【あとがき】声を上げた彼女の“もう一つの人生”が、誰かの支えになる日

「性接待」という言葉に、センセーショナルな興味を抱く人もいるかもしれない。

だが、いとうまいこさんが語ったのは、過去の傷をどう受け入れ、どのように人のために使うかという、ひとつの“生き方”だ。

この記事をここまで読んだあなたにも、彼女の声が届いていたなら──
それが、いとう教授が「話す」と決めた意味の、ひとつの証になるはずだ。

引用元:ABEMA TIMES


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